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皆さんこんにちは、シロの松本健太郎です。今 52 歳で若年認知症当事者です。でも「ふつーじゃん全然認知症にみえないね。」そう言われることもたまにあります。
私は今、北海道砂川市の「SHIRO」という会社で働いています。受付や畑仕事、除雪、かまくらづくり、ソリコースづくり、CAFE での皿洗い、最近では砂川本店にあるブレンダーラボ(香水づくり)の接客対応など、「できること」で働かせてもらっています。
4 年前の 2022 年の診断の翌年、ブログを開設しました。地味なブログですが、診断後の日々の生活状況や、自ら考えている病気への対策等、また、こんなことあったよという症状などを公開し、同じ病気の方やその家族の「はげみ」になってくれればと思い、働ける当事者の姿を私自身、実験体として、ブログや講演などを通じ発信し続けています。今はとても穏やかな日々ですが、診断前の少なくとも 10 年以上は、プライドや信頼などいろいろなものを失った、極めて苦しい年月でした。
主治医によると、私は 2015 年、おおよそ 40 歳前後から認知症が発症し始めた、とのことです。しかし私自身にその自覚は全くありませんでした。当時は営業部門の管理職として働いていましたが、気づけば徐々に当たり前にできていた事務仕事ができなくなっていきました。疲れか何かだろうと軽く考えていたと思います。
しかし徐々に以前はなんてことなく、数分でできていたことができなくなっていきました。例えば 5 分もあればできる売上伝票作成に半日かかってみたり、集中して事務仕事をしようとしてもうまくいきませんでした。
病院に行くきっかけは、私の言動がなにかおかしいかったようで「なにかおかしい、病院に行くべきだ。」となり、かなり強い周りの勧めで病院へ行きました。結局 3 つの病院にかかり、2022 年 11 月、「若年性アルツハイマー型認知症」と診断されました。
そのとき、私自身ショックを受けたとは思いますが、それより強く感じたのは「ああ、この病気なら仕事ができないわけだ。」と納得しました。「やる気がなかったわけではない、病気のせいだった。」と仕事ができない原因がわかったからです。そのとき肩の荷が降りたというか、心が軽くなりました。だけど、現実は「はいそうですね。じゃあ自宅療養します。」となるわけがありません。大学受験を控えた娘、生活費、そしてこれからの仕事。とにかく家に現金・生活費をいれなければならない。解雇される不安もあるけど、この自分の状態で仕事自体できるのか?という不安のほうが大きかったです。
事務作業など難しいことは、周囲にサポートしてもらう。できないことを隠すのではなく「これ、出来ないんだけど、助けてもらっていい?」など、声に出し助けてもらいながら、あわよくば単純作業では健常者さえ上回る、できることに特化する、それが今の私の役割です。
認知症になると何もできない人を想像する方もいるでしょう。しかし現実は違います。当事者によって「できることは」それぞれ違うようです。周りのサポートと、ある程度以上の方の理解があれば社会貢献できています。一方、偏見というのも現実一定数あります。私の場合は数字で捉えていて、例えば 130 人中 102 人は理解があり見守ってくださる、うち 6 人は偏見があり認知症の人間を働ける人員と見なさない、うち 4 人は私を認知症であると認めない、うち 2 人は過剰に心配し過保護になる、など、私の場合は「データ取り」という考え方です。
私はこの病気になり、多くのものを失いましたが、それ以上に「人の温かさ」や「新しい生きがい」に触れられています。「認知症=人生の終わり」では、到底なかったわけです。要は「弱点を世間にさらす」と人生が楽になった、という結果になりました。
もし皆さんの周りに「あれ?」と思う人がいたら、どうか突き放さず、優しく見守り、できれば受診を勧めてあげてください。私はこれからも事実を発信し続けますし「希望を持って生きられる」ことを、私という実験体をもって証明していきます。
旭川市ホームページ「認知症に関する情報」
https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/
kurashi/135/160/175/d071337.html